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日本刀の形態研究 第四章 日本刀の発展について 第六節 勝光、祐定、兼定時代(末古刀)ー二

日本刀の形態研究(十)ー二

日本刀の形態研究 第四章 日本刀の発展について
第六節 勝光、祐定、兼定時代(末古刀)-二

 ○勝光、祐定、兼定、兼元時代の作風
 造込=然るにこの期にあっては、刀の寸法は概して短い方で、応永時代の継続であるかの如く考えられますが、これは平和の影響によるものではありません。足利末期より歩兵の活躍が著しくなるによって太刀は次第に短くなるに至るのです。
 歩兵の活躍は当時頻発する徳政一揆や一向一揆に影響されたものです。従来の如き重い鎧や太刀が行動の自由を束縛するに反して軽装の歩兵の集団的威力は一揆において度々経験される一方、戦において足軽が盛んに利用されるに至ったのは足利末世の戦争からです。これと共に槍が主要な武器となり刀は寸法を縮めたのです。槍に対する刀は長くあるべきを思うのですが、刀は槍に対するものではなく、槍に対するものはやはり槍であり、歩兵が行動の敏速を尊ぶことから、刀は自然短くなったものでしょう。興三左衛門祐定や孫六兼元、和泉守兼定などの作品にあまり豪壮な刀を見ないのは、以上の如き傾向を代表するものと思われるものです。備前物の茎の短いのもやはり片手切の効果を狙ったものの如く、主として右の見地に基くものと見られます。
 長さからいえば二尺一寸前後の重量もさして重くないものが多く用いられたと思うのです。又天文、天正頃を界として備前においては古代の如き無反にして重ね厚いものが多く見られるのは何等かの理由があるものでしょう。この時代には無反短刀や先反短刀も多く出現するのでそれだけ短刀の需要の増大した事を示しています。更に又両刃短刀の造られたのもこの時代に始まります。
 刃文=この期に及ぶと刀工は全国的に繁栄の状態にあるのでそれだけ刃文の種類も豊富になりますが、やはり実用を主とする時代は自ずから実用の目的に集中するため類型化する事は免れません。即ち各々地方的な特色はあるにしても直と互の目丁子が最多く作られた事はよくこれを示しています。先備前においては所謂末備前特有の互の目丁子は勝光始め宗光、祐定、清光何れも類似のものでしてその間に崩れ刃を交えた直刃が存在しています。隣国の備後は直刃系統です。大和手掻は直刃を主とするのですが、金房一派は直又は互の目丁子です。山城にあっては直及大互の目のものがあり、関は直刃と特異の互の目刃です。末相州にはやはり互の目丁子が多く、また古来の伝統をついで皆焼を造っています。平高田といわれる豊後鍛冶は相州鍛冶の中に包括されるもので、島田、下原の一類も同様であるといえます。
 そのように考えると全国的に分布する作品もさして複雑な作風を有するものではなく、大体直系統か然らずんば互の目丁子、互の目刃に落ち着くのです。
 茎=この時代は作品の量は非常に莫大なものですから、入念の作品と所謂数打と称し単に実用に間に合う程度の品物と二種類に分かれます。この事は茎に最も良く現れています。殊に備前の如き大量生産の地にてはこの事が著しくあります。数打物は第一茎の鉄はよくありません。従って朽込み、錆付きが早く、第一に銘の切方が数打たるを示しています。書風粗にして備前長船○○と切るものは多くこの中に入ります。これに反し備州長船興三左衛門尉祐定作之とある如く俗名を入れて長々と切ったものは茎鉄にもよき鉄を用い入念な製作ぶりを示しています。関においても二字銘の兼○のものは多く数打作品に属する如くです。しかし全部が全部これに該当するものではありませんからその場合は銘振りをよく見る事が必要です。切銘において慎重なるものには粗製の不出来のものは見られないのです。
 茎の形体、鑢目など各国によって特色を帯びてくるのはっこの時代以後著しくなります。ことに備前の茎は末備前茎とて茎尻張り肉付豊かに、且短いので一種独特の風をなしています。又村正特有の茎であるといわれる鱮腹も村正一派のみではなく平安城長吉や島田義助一派、下原一派それに末相州の短刀に多く見られるものです。
 彫刻の優れているのは備前と相州で殊に相州の廣正、助廣、綱家、総宗等には小締りした立派なものを見受けます。備前の彫は概して大振りです。
 又茎に主ーーと称して所持者を示すものや臨兵闘者皆陳烈在前の句を刻すものが多いのです。

○勝光(右京亮)「文明ー備前」
 作品刀脇差など、地鉄小杢目、刃文直沸崩れ、小丁子、互の目丁子が多い。刀身に梵字、刻字、享剣等の彫物を見る。樋に添樋、連樋のある事が注目される。
勝光(右京亮)「文明ー備前」

○兼定(和泉守)「永正ー美濃」
 作品刀、脇差、短刀(無反)両刃短刀等変化多い。刀は二尺一寸前後の寸詰りのものもある。互の目丁子風の烈しい刃匂締るもの又は沸崩れしを交えたもの、湾れ心の乱れも見受ける。無反短刀には直、湾、互の目の丁子がある。
兼定(和泉守)「永正ー美濃」

○廣正「寛正ー相模」
 作品脇差、寸詰りの短刀が多く刃文は乱れ、皆焼にて匂出来が多い。小締りした額内剣巻龍は甚だ見事な手腕を示している。
廣正「寛正ー相模」

○兼延(志賀)「明応ー尾張」
 矢筈乱、直又は直に腰刃があるもの等末関風の作品なれども出来はそれ等に優る。
兼延(志賀)「明応ー尾張」

○長吉(平安城)「文明ー山城」
 刃文中直または矢筈乱匂締るものが多い。短刀には湾刃直腰刃などが多い。
長吉(平安城)「文明ー山城」

○包貞(手掻)「永正ー大和」
 作品短刀が多く刃文直又は直小足入り、白けうつりのあるものが多い。
包貞(手掻)「永正ー大和」

○勝光(次郎左衛門)「大永ー備前」
 作品刀、脇差、無反寸詰短刀、両刃短刀などがある。刃文は互の目丁子、湾、直足入り、直崩れ刃、皆焼、直に互の目乱の腰刃あるものなど多様です。総じて焼刃深く健やかなもの多い。
勝光(次郎左衛門)「大永ー備前」

○祐定(興三左衛門)「大永ー備前」
 作品寸詰りたる刀、無反寸詰短刀、両刃短刀などがある。刃文は互の目、湾、直足入り、直崩れ刃、皆焼、直に互の目乱の腰刃あるものなど多様。総じて焼刃深く健やかなるもの多い。
祐定(興三左衛門)「大永ー備前」

○兼元(孫六)「享禄ー美濃」
 寸詰りたる刀、無反先短刀共にある。地鉄は杢目、板目交じり杉皮肌の如き地府をしている。刃文は小互の目尖り刃文又は不揃いな三本杉などがあるが何れも焼幅狭い。
兼元(孫六)「享禄ー美濃」

○総宗「天文ー相模」
 作品脇差、寸詰まりの無反短刀が多く、刃文互の目丁子、矢筈風の乱匂締る。緻密な額内剣巻龍は最洗練されたものです。
総宗「天文ー相模」

○兼明(高天神)「文明ー遠江」
 作品刀、脇差あり、刃文互の目尖りて末関風。
兼明(高天神)「文明ー遠江」

○村正(千子)「大永ー伊勢」
 無反、先反短刀共にあるが、刀は稀。地大板目松皮肌の如く、刃文互の目乱、箱乱がある。彫物も見る。
村正(千子)「大永ー伊勢」

○長盛(平)「永正ー豊後」
 作品匂締りたる直小乱又は皆焼にて末相州に似る。時に小締りした額内剣巻龍を見る、同時代九州にて最傑出した刀工です。
長盛(平)「永正ー豊後」

○盛高(源)「天文ー筑前」
 末金剛兵衛一派。刃文細直、地鉄杢目立つ、茎剣形異風なるがこの一類全体の特徴です。
盛高(源)「天文ー筑前」

○正興(三原)「天文ー備後」
 貝三原一派、作刀鎬幾分高く、鎬幅幾分広い。刃文直ほつれ帽子返り深い。
正興(三原)「天文ー備後」

○月山(末)「天文ー出羽」
 末月山の一族、同銘数人あるらしく、短刀作品が多く見られる。地鉄綾杉肌を以て名高い。刃文細直不鮮明にて優れたものとはいい難い。
月山(末)「天文ー出羽」

○国宗(宇多)「長享ー越中」
 世にある国宗はこの工です、作品地杢目立ち、刃文互の目乱又は匂締る直、彫物をも往々見る。
国宗(宇多)「長享ー越中」

○義助(島田)「大永ー駿河」
 小締りした短刀が多く、刃文皆焼乱刃返り深いもの、細直にて新藤五国光の如きものもある。二代目は幅広の寸延び先反短刀多く刃文皆焼二ノ目乱にて所謂相州伝風のものです。
義助(島田)「大永ー駿河」

○氏房(若狭)「元亀ー三河」
 作品刀は身幅広く、切先延び心、刃文湾乱烈しい出来をなす。先反短刀も多くあり互の目丁子匂締りたるは兼房に似る。
氏房(若狭)「元亀ー三河」



(「日本刀要覧」より)

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