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日本刀の形態研究 第四章 日本刀の発展について 第五節 盛光、康光時代(応永古刀)-ニ

日本刀の形態研究(九)-ニ

日本刀の形態研究 第四章 日本刀の発展について
第五節 盛光、康光時代(応永古刀)-ニ

○盛光、康光時代に於ける作刀の諸特徴。
 造込み=南北朝時代においては大きなる太刀、長巻が用いられたので盛んにこれが製作された様ですが、この時代には主として小脇差が見られるのは、戦乱が終わって平和の到来するためでしょうか。盛光、康光等が寸法の短いものを多く残しているのは、この時代に刀剣の製作が隆盛でなかった事を示しているものと見られます。また刀工の数及びその手腕の点からいってもこの時代はあまり振はないと見て差支えありません。
只一つこの時代は平和にも拘らず刀剣製作業は中々繁栄したようです。それは将軍義満によって開かれた日明貿易において刀剣が貿易品として舶載されたからです。明政府の意図する所は、これ等の武器を買入れる事が日明関係の一般原則の如く、当時倭寇の侵害に苦しみ我国の歓心を買ってこれが禁
壓を乞うためと武器の手に渡るを恐れたためだったと思われます。しかし遣明船は彼の地に赴く度毎に少ない場合にて三千本多いときは五万七千本も輸出したといわれてますから、前後十一回に及び行われた交易においては恐らく十万本にも達する多数の刀剣が積載されたであろうといわれています。勿論これ等は内地の戦争に用いられるよりも一層粗製の品ではあったのでしょうが、刀剣製作の中心たる備前、備中の如き地方をして依然この業の隆盛を続けさせたと思われます。でありますからこの時代は平和にも拘らず量的には繁栄を極めたというべきでしょう。鉄山においてこの頃古代よりもやや大規模に製鉄する事が起こったとされるのもその様な要求に基ずくものだろうとされるのです。即ち特殊なカマドを作り、三日四夜吹いて、カマを崩し鉄を引き出し切り割り延ばし鋼として販売するようになったといわれています。
 しかし全般的にいって国内の需要によるものは少ないのですから、今は残された作品は小脇差の如きものような平和時の刀剣といわざるをえないのです。

 刃文=刃文は応永備前と称される特色ある互の目丁子が主です。盛光、盛重、康光などはこの代表的な作品を残している刀工で刀身における樋について見ても平和的色彩が窺われるのです。脇差にも多く樋の施されるのは主として美的見地からなされるのであり、添樋の如きは専ら美観のためでしょう、従ってこの添樋などは備前を除いた他の非進歩的刀匠には少ないものです。また二本樋が康光、盛光等を中心として見られるのも注目すべきです。掻通し樋は多少の美化なしこの時代は再び現れて来ますが、復古的傾向といいえるものです。
 この互の目丁子は前代において既に長義一派において見られるものです。その時代にあっては一般に小丁子風の刃文が立として作られていたのですから、長義の大互の目丁子は少なくとも異風のものであると言わなくてはなりません。長船嫡流の盛光、盛重等が長義風の作品に転換している点に時代の嗜好の中心方向が考えられるのであり、かかる大規模のものが流行する事は即ち平和の影響と思われるものです。殊に造込みにおいて大なる太刀などはなく、小脇差の如き類まで比較的大規模なる刃文に終始しているのは先に述べた如く、戦時の小規模単純なる刃文と対照をなすものといわなくてはなりません。

 地鉄=地鉄は板目、杢目が普通ですが、殊に大規模になるのは刃文が大規模になるのに応ずるものです。

 茎=茎尻張り所謂応永茎といわれるものに転換しているのが先ず第一に注目されるのです。総じて備前は茎仕立て上手で山城、宇多などこれに次ぐものですが、他国の鍛冶は無雑作なもの多く石州直綱の如きその典型的なものです。
 目釘穴はなおこの時代にも兼光長義時代の如くロクロによる皿のような型のがあります。
 銘字は前代の踏襲にて何等新機軸は見出されません。

○盛光(修理亮)「応永ー備前」
 作品刀は少なく、小脇差(鎬造、平造共にあり)が多いのは同時代の他の作者と等しい。地鉄大杢目、刃文は互の目丁子華やかにて長義の風情がある。中に直小足の淋しいものもある。梵字、素剣などの彫物を見る。
盛光(修理亮)「応永ー備前」

○康光(右衛門尉)「応永ー備前」
 刀少なく小脇差平造脇差が多い。地鉄大杢目刃文互の目丁子、直、直小足入りなどがあるが、盛光に比べて小規模です。
康光(右衛門尉)「応永ー備前」

○家助(長船)「応永ー備前」
 刀少なく小脇差寸延び短刀が多い、地鉄大杢目、刃文互の目丁子映りつく。
家助(長船)「応永ー備前」

○信国(左衛門尉)「応永ー山城」
 作品平造小脇差及び平造寸延短刀多く、刃文大互の目揃いたる乱刃、刀身に棒樋、梵字、素剣などの彫物を多く見るので名高い。
信国(左衛門尉)「応永ー山城」

○友重(藤島)「応永ー加賀」
 作刀姿良く刃文小互の目なるは備前物の風情がある。また他に直ほつれにて喰違い二重刃を交えるものもある。
友重(藤島)「応永ー加賀」

○景長「応永ー因幡」
 至徳、応永に亘る作者であろうと思われる。地鉄大板目柾交じり刃文、締り流れる気味。平造脇差直刃なるは応永備前の如きものがある。
景長「応永ー因幡」

○則光(五郎右衛門)「永享ー備前」
 作品応永末年より文明に亘る。従って刀は盛光、康光より多く見受けられる。作品寸詰まりたる刀重ね厚いもの、小脇差、平造短刀などにて刃文互の目丁子、直小足入り、直、康光に似るものです。
則光(五郎右衛門)「永享ー備前」

○永則(吉井)「永享ー備前」
 脇差、平造小脇差多く、刃文直刃または互の目揃うもの、焼巾概して細い。
永則(吉井)「永享ー備前」

 
(「日本刀要覧」より)

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