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日本刀の形態研究 第四章 日本刀の発展について 第三節 長光、景光、國行、國俊時代(中古刀前期)-三

日本刀の形態研究(八)-三

日本刀の形態研究 第四章 日本刀の発展について
第三節 長光、景光、國行、國俊時代(中古刀前期)-三

 ○長光時代の作風-二
 地鉄=古い時代の作品は無垢鍛とて心鉄を用いない方法で造られました。古備前の多くが無垢鍛である事は人のよく知るところです。心鉄を用いるに至ったのはいつ頃であるか明瞭ではありませんが、刃文地鉄の関係から見ます。

 茎=この時代茎の形体が次第に整ってくるのが注目されます。茎尻はブツ切りのもの又はゆるやかな片山と真に本格的に作られるに至ったのは長光あたりからであろうと思われます。直丁子の出現と共に、従来大板目や板目であった地鉄が次第に杢目肌になってきます。この事は地鉄がそれだけ硬度に変化を加えられたもので、勢い心鉄とて内部に皮鉄と硬度を異にする鉄を用いなくてはならないようになるのです。総じて直系統の刃文のあるところ弾力性ある強靭な刃鋼が形成されるのですから、無垢鍛では刀全体が硬さにおいて不適となる結果に陥るのです。青江のスミ肌とて特殊なカネが地鉄中に出現するのもその刃文が直刃にて、従って地鉄が小杢目となりますから心鉄を多量に皮鉄を薄くした関係からでしょう。とにかく刃文の直刃と心鉄の使用とは相互に関係があるように思われるのです。
 次にこの時代の注目すべき現象としては大和包永などの如く柾目鍛の出現を見るところです。これは実用の上において折れないためという事を研究された結果であろうと思いますが、従来の板目に比べて頗る趣の変わったものといわなくてはなりません。大和の地が古来よりの伝法を伝えて独自の地方色を保っていた事によるものでしょう。
 これと似たものに越中則重があります。独特の板目肌に互の目小乱の作風は誠に異色ある存在です。やはり避遠の地の常として時流に染まらず刀剣改革の気運に超然たりしによると思われます。則重の前代もまたその門流も共に栄えていないのは少なくともこの事実を物語るものといわなくてはなりません。ないしゆるやかな剣形、栗尻とありますが、それ等は茎尻を整えるに比較的容易なるものであるといえます。後世の如く急角度をなすものは道具その他の進歩と意識的に茎の形を美化する観念のない所には起こらないものです。
 鑢目は筋違い、大筋違いがあり青江物にはセンヌキが見られます。逆筋違いが稀にありますがこれは左利きの刀工に必然的に起こるものです。筋違鑢は概して無雑作な容易な方法ですから時代古いものに自然な鑢目といえるでしょう。
 銘字について特に感じられる事は、備前、山城の著名なる刀工が目立って巧みである点ですが、これについて両国の鍛冶の繁栄が思いやられるのです。他の国にあっては依然古備前や一文字時代に見る如き雅拙の味を宿しているのは幾分非進歩的といえるのでありまして、これら作品にして裏年号のない作品は往々時代を古く考えがちでありますが心すべき事です。

○国吉(粟田口)「弘安ー山城」
 この時代の刀工は多く短刀を作り始めている事は注意すべきである。古備前、一文字時代の作者は短刀は残していない。年代的には嘉元頃を界にして短刀が多い。
 新藤五國光や粟田口吉光が短刀作家とされるのも彼らの活躍期が嘉元以降にある為であろうと思われる。
 國吉は普通古い時代に考えられていますが弘安の頃を中心とする作者です。
 作品太刀は地鉄杢目、刃文直足入り直(足入りとならない)等あるが多く二重刃を交える。帽子は小丸、無反短刀がある。
国吉(粟田口)「弘安ー山城」

○國綱(粟田口)「建仁ー山城」
 作品太刀多く、刃文直小乱後期に至ると直足長く入り刃中働くもの直丁子の趣がある。帽子大丸または乱れ込み。
國綱(粟田口)「建仁ー山城」

○光忠(長船)「暦仁ー備前」
 作品太刀、しかし往々小太刀を見うける。地鉄杢目刃文は丁子、大丁子何れも華やか、その丁子は蛙子丁子として特殊の趣あるもの、または袖口をぬい絞った如きものなど何れも光忠の特徴です。帽子は大丸または乱れ込み。
光忠(長船)「暦仁ー備前」

○長光(長船)「弘安ー備前」
 作刀初期身巾広く樋も掻かれる(角止樋が多い)、刃文大丁子直丁子地映に盛んにつく、帽子は大丸または乱れ込み足入りともなわない眞の直刃が後期になると作られる。短刀、小長巻が始めて作られている事は注意すべきです。なお剣巻龍の自作彫の見るのも長光は始まるもので一般に彫刻の出現の時代を暗示するものの如くです。
長光(長船)「弘安ー備前」

○助次(青江)「文永ー備中」
 刃文は小乱乃至直足入りなどですが、太刀多く短刀を見ない故時代的には長光より古く一文字末期よりこの期の初め頃に位する刀工と思われる。
助次(青江)「文永ー備中」

○守家(畠田)「正元ー備前」
 作品太刀二尺五六寸のものが多い。刃文丁子、大丁子は光忠に似る帽子乱れ込みまたは小丸、時代的に光忠と同じ頃に位するものであろう。
守家(畠田)「正元ー備前」

○國宗(備前三郎)「文永ー備前」
 作品太刀二尺六七寸のもの多く、樋掻き通しあり、地鉄小板目刃文丁子または直丁子、刃に染あるものが多い。この工は銘振り変化多様にして鍛刀年限長期に亘ったと思われる。
國宗(備前三郎)「文永ー備前」

○國行(来)「正元ー山城」
 作品太刀多く身巾広いものも多い。刃文一見広直刃の如く見えるが、足長く入りて直丁子というべきもの大丁子、小丁子ある。帽子は乱れ込みになる。
國行(来)「正元ー山城」

○眞長(長船)「嘉元ー備前」
 刃文丁子直丁子など刃のみ多く短刀稀であるのは時代的に景光に近い事を示すものです。
眞長(長船)「嘉元ー備前」

○國俊(来)「正和ー山城」
 作品太刀乃無反短刀、長命にして作風多様。初期大丁子華やかなものより小丁子、直足入り(足逆心に入るものあり)直二重刃、直等、帽子は大丸乃至乱れ込み、短刀は多く直足入り、直になる。
國俊(来)「正和ー山城」

○吉光(粟田口)「嘉元ー山城」
 父國吉の時代から見て嘉元頃がその活躍期でしょう。新藤五國光と同様主として無反短刀を残しており、刃文は直足入りまたは直二重刃にて、その足入るものは元の方小足揃いて互の目の如き感じを表す。小乱もある。
吉光(粟田口)「嘉元ー山城」

○國光(新藤五)「正和ー相模」
 刃長八寸五分の無反短刀が多い。刃文は直足入り、又は眞の直刃ですが、時に沸深い小足風のものが見受けられる。
國光(新藤五)「正和ー相模」

○景光(長船)「元応ー備前」
 作品太刀、短刀共にあり、刃文は直丁子または足入りのない眞の直なお逆心に足入れのものもある。帽子は大丸、剣巻龍の彫刻を見る。短刀は主として鋸刃になる。
景光(長船)「元応ー備前」

○近景(長船)「元応ー備前」
 直丁子直足入り、足入りのない眞の直などだが総じて足入りは逆心になる、短刀は稀です。
近景(長船)「元応ー備前」

○助光(吉岡一文字)「建武ー備前」
 作品太刀あり、無反短刀小長巻もある。地鉄小板目刃文直足入り、逆丁子の出来のものが多い。
助光(吉岡一文字)「建武ー備前」

○吉次(青江)「嘉暦ー備中」
 作品太刀多く樋は角止めになる。刃文は匂いの締った直刃に間をおいて足入るものは逆心に足入るものです。
吉次(青江)「嘉暦ー備中」

○包永(手掻)「正応ー大和」
 作品刀多く短刀は稀、刃文は直足入り、直沸崩れ刃等後者は古備前の如き趣あるものです。地鉄板柾目なる為喰違刃となって出現する。鎬高い造り込みなど特徴として異色ある作者です。
包永(手掻)「正応ー大和」

○則重(呉服郷)「元亨ー越中」
 地鉄大板目鮮明にして松皮肌の如く現れる。刃文互の目風の小乱乃至小乱沸崩れを交え肌目に沿って砂流し踊る。刃長八寸五分前後の無反短刀多く刀稀です。正宗十哲に数えられるが新藤五國光とほぼ同時代頃と思われる作者です。
則重(呉服郷)「元亨ー越中」



(「日本刀要覧」より)

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