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日本刀の形態研究 第三章 彫刻について

日本刀の形態研究(六)

第三章 彫刻について

 刀身に彫刻を施す事は古くよりあった様ですが、現存作品を中心にして観察をするならば、豊後行平、長船長光に始まるとされます。而して行平の時代については従来元暦頃と考えられてきたのですが、私は種々の点からこの時代には疑問を持っています。故に長光をもって最も確実な彫刻の創始者と考えるならばそれは弘安以後の時代であり彼の未曾有の国難たる元冠による影響が考えられます。
 常時敵国降伏の祈願が全国の神社を中心にして行われ国の上下をあげて一致協力した時代この事が日本刀の歴史に何等かの跡を残さないことはないと考えられます。長光の彫刻はまさしくこの時代の宗教心の発露と思われるものです。その倶利伽羅(剣巻龍)は即ち不動明王の化身に他ならないので、彼の大日如来の一切の魔降を降伏せしめんとする威徳の表現として常時あまねく行われた密教の思想に基いて刀身に彫り刻まれたものです。
 私は彫刻の意義をそのように解釈し長光によって行われた剣巻龍はその古さに於いて恐らく現在の有名刀工の作品中最なるものと考えています。
 彼の豊後行平も種々研究の結果時代的には恐らく長光とあまり大差ないと私は信じています。
 その様にして刀身へ彫刻する事は元冠の事変を界として行われるに至ったものであろうと思われ、大原鎮守にある梵字という如きも今は俄かにそれを刀と同時代に施されたものであるとは考えがたい点があるのです。この点については尚研究の余地がある故詳しくは触れない事とし、今は最も確実な作品の彫刻に付いて時代的に排列してみました。それも彫刻の意義などは説かず鑑刀の看所の一つとして彫刻を捉えこれに関する限りの解説です。
 彫刻のある作品は数からいえば極めて少ないので、大体無彫刀五十本に対する一本くらいの割合でしょう。もっと多いように考えられるのは後彫(後世新たに彫られたもの)のある為であろうと思います。
 そして彫刻する刀というものは無い刀に比べて明確にその作者を鑑別できる利便がありますから、それぞれの作家の特徴を知悉することは鑑刀に際して極めて重要な事柄です。

○額内剣巻龍(豊後行平)
 下図は豊後行平の自作です、小締りしたる額の内へ剣巻龍を率直に表現しつつも信仰を第一義とした作である事が見て取れます。
額内剣巻龍(豊後行平)

○額内剣巻龍(長船景光)
 長船景光の刀にこの彫刻があり、行平の如く額内剣巻龍です。この他に額平面に剣巻龍を彫ったものを見ます。長光、景光、兼光等にそれがあり、更に倫光、盛光、盛重等にも見られる所から長船長光等に伝統的たる彫物を見ることができます。
額内剣巻龍(長船景光)

○素剣濁鈷(応永信國)
 応永時代は刀工が減少しているだけに彫物も少なく、備前の盛光、康光と山城信國位です。信國も前時代同様緻密と思われるものはなく、鈷付剣、又は素剣、梵字、刻字等の程度です。
素剣濁鈷(応永信國)

額内剣巻龍(相州総宗)
 相州総宗康國に見られ、緻密にして小締りしたものであって完全に美術化したものです。後世本荘義胤が造るところの額は剣巻龍はこの総宗の彫刻を摸倣したものでしょう。
額内剣巻龍(相州総宗)

○剣巻龍(相州廣正)
 廣正の作に「同文」を添銘のある点から見て廣正の自作彫りであることが明白です。従来の彫刻から比較するとその構図に変化があります。それだけこの時代に至って時代と共に新味が加えられたわけです。
総宗、康國にもこの種の彫刻があります。
剣巻龍(相州廣正)

○行の剣巻龍、刻字(次郎左衛門勝光)
 次郎左衛門勝光の刀にある彫刻で自作であると思います。表の龍は写実的でなく図案化したもので、これを行の剣巻龍(行の倶利伽羅)と称しています。ここにも新機軸がうかがわれるのです。相州ものに比べて大振りのタガネ深いもので、これは勝光に限らず多くの末備前にこの種の彫刻が見受けられます。
行の剣巻龍、刻字(次郎左衛門勝光)

○眞の剣巻龍と行の剣巻龍(長船忠光)
 行の剣巻龍とは図案化した下図の如きをいう、眞の剣巻龍とは写実的な普通の剣巻龍をいう、剣巻龍は俗称で本来は倶利伽羅ともいうべきものです。この大振りの彫刻は末備前の特徴でもあります。この彫は忠光の刀にあったもので、末備前は比較的彫刻の余技があったと思われます。しかし興三左衛門祐定に彫物の少ない点を見るとこ工は彫物を得意としなかったのでしょうか。
眞の剣巻龍と行の剣巻龍(長船忠光)

○剣巻龍、不動(下原康重)
 下原の彫刻は康重、照重の両工が代表しています。特に康重が著名で、下図はこの康重の彫物です、タガネの特に深いもので、その作風は素朴です、同時代の末備前末相州の彫刻と比べると幼稚ではありますが、それだけ古色然たる趣があります。不動の彫刻は既に豊後行平から始まっていて、大和包眞等にもあるものです。
剣巻龍、不動(下原康重)

○額内不動尊、這龍(埋忠明壽)
 流石に埋忠明壽の彫刻です。平面彫より難しい額内彫(肉彫)を拡大して、その彫刻を充分見せる所明壽の面目が躍如としています。不動を多く余り、梵字の大きく鋭いのも明壽から始まると思われる。康継にもこの種の梵字があり、古来無銘貞宗、建武信國等のものにこの明壽、また康継と同様の梵字を見ることがあるので古極め通り信じることが出来ないものがある。
額内不動尊、這龍(埋忠明壽)

○大黒天、梵字刻字(堀川國廣)
 大黒天の彫刻は國廣以前に見かけないもので、國廣の新機軸であろうか、梵字、刻字等新しいところを見せているのです。
大黒天、梵字刻字(堀川國廣)

○毘沙門(堀川國廣)
 國廣は彫刻に於いて新しい視野に立っているのです。
毘沙門(堀川國廣)

○額内不動尊(越前記内)
 締った不動の顔、剣を持つ不動の肱の張ったところなどは越前記内の特徴です。初代康継、二代康継にある彫刻は記内という彫刻家が彫ったものです。同じ越前鍛冶でも肥後大掾貞國にある彫刻は自作彫りとされているものです。
額内不動尊(越前記内)

○梅木(越前記内)
 刀面一面に取広げられた大振りの梅木、しかもそれが図案化したもので、初代、二代康継の作刀にあります。同様記内彫刻です。この他越前新刀にある彫刻は多く記内の手によるものとされています。
梅木(越前記内)


(「日本刀要覧」より)

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