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日本刀に関する耳寄り情報などをご紹介します。

日本刀の形態研究 第一節 造込みの種類と変型の種々相

昭和15年発行の藤代義雄氏著 「日本刀要覧」より、既に著作権が消滅しておりますので、その内容をご紹介したいと思います。
なお、掲載に当たり、仮名遣い等やむを得ない部分について一部表記を改めています。

初回の今回は、日本刀の形態について見ていきましょう。

日本刀の形態研究

第一節 造込みの種類と変型の種々相

日本刀の造込みは大別して鎬造りと平造りに分たれ、これより変化して次の如き種類が生じています。
冠落し、鵜の首造り、小烏丸造、菖蒲造、両刃造、片切刃造、両切刃造、おそらく造……
しかしこのような物は極めて特殊なもので刀には鎬造りが最も多く見られるので本造りと言っている位です。

○鵜の首造
短刀に限られたる造込みで、刀における小烏丸造と似ているものです。
これは古刀期では新籐五国光、行光、粟田口吉光、来国俊、来国光、當麻、長船景光などに見られます。
もちろん新々刀期にはこれらを模倣して造っているのを少し見受けます。
鵜の首造
○小烏丸造
鵜の首造りを長くし先端部の棟に刃のついたものです。

○片切刃
差裏が切刃になるのが普通で、まれに差表の場合もあります。
一方の側は平造りです。
刀、脇差にては鎬造りになる事もあります。
長船景光、初代康継、堀川国廣及びその一門、直胤、清麿、信秀等の作品に見られるものです。
片切刃
○両刃
刀身の両方に刃がついているもので、先端が一方へ反っています。
後世これを嫌って棟の部分を刃引きしてしまったものもあります。
この場合は菖蒲造りに似ていますが、鎬の先端部及び鎬の角度に相違を見せます。
末備前に多く末関、末相州、平長盛などにも見られます。
両刃
○剣
これは古代の造込みにて我々の研究する反張日本刀の出現以来稀になったものですが、それでも奉納刀などに特殊の作者により造られています。
刃渡り八寸前後のものが多く、粟田口国吉、吉光、長光、景光などに見られます。
何故か弘安(1278年~1288年)、正応(1288年~1293年)頃の作品に多いのですが、元冠の事変における敵国降伏の祈願の為でしょうか。
降っては堀川国廣、新々刀の直胤などに稀に見られるものです。
剣
○おそらく造
島田助宗が造った大帽子の小脇差、その帽子の長い点が異彩ですが、その刀身におそらくと刻字をしたものが伝わっています。
おそらくの名前はそれから来たものと思われます。
他にはこの造り込みを見ず、新々刀期になって少し現れています。

○長巻き
刃長二尺六寸あり、吉野朝時代多く造られたものです。
腰樋は五六寸に及び中心の長さは刃渡りより長いのです。
鎌倉時代のものは刃長一尺五六寸総じて小型であり、末古刀の薙刀と殆ど変わらないものです。
現在は多く刀に改造されています。
長巻き
〔無反短刀と先反短刀〕
短刀におけるこの二つの種類は極めて重要なるものです。
短刀の出現は刀工にていえば長光時代から始まると考えられますが、それ以後応永(1394年~1428年)までにこの二種の短刀の隆類を見るのです。
即ち延元(1336年~1340年)興国(1340年~1346年)年間を界として以前は無反短刀以後は先反短刀の出現となります。
末古刀時代は古刀摸倣とも見られてこれら二種の混合時代です。
無反短刀というのは重ねやや厚く身幅は狭く茎長目、細長い形状のもので、先反短刀は重ね薄く身幅広め、茎比較的短く、切先延び心にて所謂相州伝造込みです。
これらは研磨と共に次第に変形して特色を失い無反りは筍反りに近くなり先反短刀の先反りはしだいに著しくなります。
無反短刀と先反短刀
○帽子(切先の種類)
切先は、その身との釣り合いにより大切先、中切先、小切先に分かれます。

1.小切先
小切先
古備前時代の作品に多く見られます。
しかしこれは本来かく造られたものではなく研磨がしばしば加えられてなる後天的のものという事が出来ます。(後述帽子の変型の経過参照)
古刀礼賛の新々刀期には古作品の本質と誤り信じてかかるものを造り出しています。
しかし応永康光、盛光の小脇差にはこの小切先が見られる場合が多いのです。

2.中切先
中切先
これはごく一般の帽子です。
古備前時代の帽子も原は中切先程度に造られましたが、後世の研へり等によって小切先に変わっています。

3.大切先
大切先
無銘大磨上げのものに多く見受けられます。
兼光時代即ち吉野朝時代の幅広長大(刃長二尺七寸以上)なる太刀を定寸に摺上げれば必然的に生まれるものです。
したがって大切先は長大なるがゆえの帽子なのです。
新刀初期にこの幅広大切先の無銘大磨上げが取り上げられて国廣、初代吉道、越中守正俊、飛弾守氏房等が造っています。
ここに二尺三寸余りの生茎刀にして幅広大切先の出現を見るに至りました。
今日傅へられる小烏丸の型は新々刀期の刀工を通じてのみ見られる様で、造込みにも相当の新味が加えられているものです。
新々刀の細川正義、大慶直胤、月山貞一貞勝父子、森岡正吉などに見られます。
小烏丸の型
○菖蒲造り
長巻き直しの刀に多い造込みです。
また長巻直しから取入れた新たなる造込みでもあり長短何れもあり、反のあるものないものもあります。
長船景光以後に見られ、長重、長守、盛光などにもあります。
新刀期以後は出羽大掾国路、初代和泉守国貞、その他堀川一門、また大慶直胤、源清麿等新々刀作者に見られます。
菖蒲造り

○大帽子二種
大帽子二種
前者は、その帽子横手から四五寸に及んでいます。
又後者は菖蒲造りの横手のない大帽子です。
共に長巻直しの刀に限られています。
作者としては吉野朝時代の刀工です。
新々刀期の清麿、信秀、左行秀等は時にこれを最初から刀の造込みとして造っています。
又新刀期堀川もの脇差にもあります。

[帽子変型の経過]
刀剣の刀身部はそれが戦場での使用からしばしば破損する事は容易に考え得る所です。
その度に研磨が加えられて刀身は漸次形態を変えてゆきます。
慶長以後平和時代の到来と共に研磨は実用のためよりも保存鑑賞の目的を以って漸次精密となってきたのです。
今日見る様な研磨は徳川時代中期以後興るものですが、現在の刀剣は全てこの研磨の精密なる操作の結果になるもののみです。
故に極めて洗練せられたる形態を示しています。
古作品「茎」部を見ると無雑作に造られた素朴な形を示しているのに、刀身の部は如何にも均整の取れた美事な姿態を示しているのは研磨の結果に負う事が多いものであることを考えしむるものです。
故に古作品は実用のためや保存鑑賞のための研磨によって原型から違ったものになっている事をまず考えなくてはなりません。
現存の研磨の経験から推してそれが如何なる方向に及ぶものであるかを今考えて見度いと思うのです。
刀身の破損は物打より先に蒙る事が最も多いと思われ、その中でも切先はことに著しいと考えられます。
帽子下の刃こぼれも、その研工作に於て帽子へ影響を及ぼします。
この場合研磨師は如何なる方法を以って形を整えるのでしょうか。
次の第一図は短刀に例を取りその仕方を示したものです。
刃こぼれの研磨
             四         三        二        一

(一)は原型を示したもので、ご覧の如くフクラは張っている無反短刀の例です。
これが(二)の如く破損を生じた時これを直すのには(三)(四)の二つの方法があります。
この場合砥師は何れを選ぶでしょうか。
勿論例外なく(三)の方法を取ります。
これは帽子の焼き刃を出来るだけ保ち度いからです。
それに(四)の場合における如き事を繰返す時は恐らく切先のつまって格好のつかないものになります。
また労力的にも(三)の方法が容易なのです。
これによって無反短刀は筍反りに変化するのです。
この点、鎬造りの反りを有する刀でも帽子邊がコゴム傾向にある事は免れません。
故にこの部分の棟を磨取ってそれを訂正したものを往々見受けます。
筍反短刀というものは何等特殊の造込みではなく研磨によって後天的に変形したものです。
以上は平造短刀の例によって切先部の変形を見たのでありますが、鎬造りの場合は如何でしょうか、それと共に帽子の焼刃はどうなるか次に考えてみたいと思います。
古い刀の帽子は第一図(一)の原型だったと考えられます。
平造短刀
先の図表における平造短刀の場合はフクラの張ったものが次第にフクラ朽れ下図の帽子身幅の変化によってフクラ邊刃細くなる訳です。

帽子身幅の変化
(一)の如き原型のものが(二)の如き刃こぼれによって(三)の手続きを経て(四)に至ります。
かくして直線の刃先はゆるやかに湾曲をなして来るので(五)錆朽などを除くためにしばしば研ぎを加えられて(六)の如きに至ります。
更にこれを繰返すと(七)に至ります。
(一)において刃先の直線より焼き刃もこれに平行していたもの、これが切先の湾曲と共に横手線の移動によっていせぎ、大丸、たるみなどの別称に適はしい現在見る多くの帽子に変化するのです。

[いせぎ、大丸、たるみ]
いせぎ、大丸、たるみ
    たるみ        大 丸        いせぎ
この三種の帽子は帽子が直の場合に生じます。
帽子の刃文が乱ですと単に乱込みとの名称にて統括しますが、直の帽子は「いせぎ」「大丸」「たるみ」この他に「小丸」などの応分をします。
元来帽子の刃文は少なくも建武以前のものは殊更なる刃文は造らず焼幅を他の焼幅同様に焼く、又は他の焼幅より深く焼く如きものです。
それが直刃の場合明瞭に前述の如く感知できます。
このいせぎ、大丸、たるみの三種は原型帽子の帽子の角度、又は焼の広狭、研の改変等によって生まれます。
それについての説明は複雑になりますから、原型は第一図に依ってご想像ください。
以上は刀造りの帽子変型の過程です。

新籐五国光のフクラ刃細くなるの原理は以上の如き帽子変型の経過によって説明できます。
以上図表の例によって研磨によって刀の猪首帽子が湾曲帽子へ、短刀の無反は筍反りに変化する事を知るのであり、これ等の事は注目すべき現象であると思います。

以上の場合に似た様な工作過程は長巻きを刀に改造する時にも起こるものです。
次の図に示される如く長巻の原型、切先の反り返りを摺り取って刀に直します。
かかる時は帽子の返りはなくなるのが常です。
又摺り取らずに或工作を試して反を浅くする事によって普通の格好にする場合もあります。
この際には帽子の返りが幾分残ります。
長巻の中心は非常に長いので刀に直す場合は切取られて多く無銘になります。
切先の大きいのは長巻き直しの刀に多いのですが、従来これが相州伝の造込みと云われています。
吉野朝時代に多い豪刀(原寸三尺二寸位)も二尺三四寸の定寸に摺上げると無銘にして幅広く切先は延びる傾向にあるのは免れません。

かかるものもすべて相州伝を以って説明するのですが、説明の仕方自信は必ずしも誤りとはいわれませんが、これらが相州伝として五郎正宗と関連するところに奇妙な結果を生じてしまったのです。
即ち吉野朝時代の高名なる作者が正宗十哲に結合せられているのはその時代の作風を以って相州鍛冶の勢力の影響と見るに至ります。
かくして相州一門をあまりに過大視する事は研究上の欠落となると共に世上に無銘相州物を氾濫せしめる事になるもので慎むべき事です。
長巻直しの刀
長巻直しの刀豪刀摺上げの無銘刀は兼光時代の作品が多い事はしばしば云う通りです。
長巻直しの刀は多く菖蒲造りであり帽子は焼き詰めとなります。
それは上図の如き工作を加えるからです。
前者は菖蒲作りの刀となり、後者は大切先の刀に改造されます。


(「日本刀要覧」より)

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