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新発見 加納夏雄の造幣寮鍔


 私が、刀屋の丁稚をしていた頃の事です。刀剣界でも有名な刀剣商の師匠のもとへ老紳士が来店され、品物を売却したい旨でした。昭和五十三年と言うのは、まだ刀剣の即売会をデパートやホテルを借りて月に何度もやっておりました。重要刀剣、無銘、直江志津の刀が七百万円、同じく末左の刀が八百万円という時代でした。その老紳士が、風呂敷を広げ、小箱を出された中身が夏雄の鍔でした。脇差鍔位の大きさで、四分一地の鋤出高彫に桜花が咲き誇った一輪桜、銘文には、於造幣寮製、夏雄(古意)、為久世○○氏と記された見事な作でした。

 夏雄は、文政十一年(1828)四月十一日に京都で生まれ、刀剣商加納家の養子となります。奥村庄八と言う金工に初歩的な彫金を習い、天保十一年(1840)に十三歳で大月派の池田孝寿の門に入り、寿朗と名乗ります。修行すること五年、弘化二年に十八歳で師家を辞し、翌年に京都で開業しました。一説に嘉永五年、二十五歳の時ともいいます。この間に谷森種松に漢字を、中島来章に絵画を学び、安政元年(1854)十月、二十七歳で江戸に出て神田永福町やお玉ヶ池に住み、大地震のために翌年から住居を転々とし引越しが続きます。明治二年(1869)七月に造幣寮が設置され、明治十年(1877)一月までありました。

 夏雄は、明治五年(1872)十一月からここに出勤し、同十年四月に辞して十月には東京に戻っています。この間には、新貨幣の原型製作、また明治四年に宮内省の雇員となり、御剣の金具彫刻を申しつけられます。さらに同八年造幣小技官に任じ正七位に叙せられます。同十四年(五十四歳)に内国勧業博覧会審査委員、同二十七年東京美術学校教授になり、さらに同年十月帝室技芸員を拝命します。明治三十一年二月三日に七十一歳で病没し、逝去の前日に正六位勲六等に叙せられ、瑞宝章を授けられました。近代の名人で、門人には海野勝珉、香川勝広、塚田秀境をはじめ、友雄、覚弥、勝守、文雄、隆雄などの良工を輩出し、明治金工界の巨星として君臨しました。この夏雄、造幣寮の鍔は一年後に重要刀装具の指定を受け、尚、この鍔と一緒に付いていたのが、絵画の師である中島来章の彩色鮮やかな絵巻物であります。

(刀遊亭極楽とんぼ)

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