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日本刀に関する耳寄り情報などをご紹介します。

日本刀の鑑定要訣

 ここから、日本刀がどのように変化していったかを時代ごとにたどっていきます。

 奈良朝の初めから、現代に渡ります間を、七つの期に分け、そうして古刀五箇伝、新刀期に入りまして、更に一箇伝増えまして六箇伝の流派に分かちます。
第一期 奈良朝、平安朝時代
第二期 鎌倉時代
第三期 南北朝時代
第四期 足利室町時代
第五期 戦国時代
第六期 豊臣、徳川時代
第七期 徳川幕末時代、および現代
 一期より五期までを古刀、六期を新刀、七期を新々刀および現代刀と称します。流派は山城伝、大和伝、相州伝、美濃伝、備前伝、新刀特伝に分かちます。

 第一期の時代は、山城伝の流行時代であります。五畿内地方は無論の事、全国一般に山城伝が造られております。
図1 山城伝の太刀 長さは二尺六、七寸前後のものが多く、図1の如く上品優美な太刀姿でありまして、総体に身の幅は狭いのでありますが、元身幅の方が広く、先の方が細くなって、小切先で、反りも高いのであります。
 焼の幅は狭く、直刃に小乱交りの刃紋が多いのでありまして、小沸本位で焼いてあります。
 帽子も細く焼いて、図2に示しました返りが図3の如く少ないのです。
図2 帽子返り 図3 返り浅 地鉄は細かく綺麗に鍛えました。すなわち小杢肌であります。
 

 第二期の鎌倉時代の初めの頃は第一期と余り変わりはありませんが、備前伝の鍛冶が図4の如き丁子乱を匂本位に焼きます。その様格も八重桜の旭に匂うが如き風情があります。
 畏れ多くも、後鳥羽上皇におかせられては、この大丁子乱の刃紋が、最も巧であらせられました。

図4 大丁子乱れ

 鎌倉の中期承久頃から、武家時代となりましたので、武家用として豪壮な姿のものが流行されて来ました。寸法も長く、三尺近くまたは三尺以上のものも造られました。
 中期の終わりから末期の元寇の乱頃には、益々図5の如き豪壮なものが造られました。
 総体に身幅が広いのですが、第一期の如く先の方が細らず、ほとんど元の身幅も先の身幅も同じ様に見えるのであります。
図5 猪首姿 この猪首姿の多く造られましたのが、貞永前後ですから、これを貞永式の太刀姿と申しております。
 鎌倉の末期頃から、大和鍛冶が盛んになりまして、刀工も沢山に住みました。
 山城伝と、大体同じ様ではありますが、争闘に重きを置きましたため、図6の如く、鎬が高くなり、図7の如く柾目肌鍛になりました。これを大和伝といいます。
図6 鎬高 図7 柾目肌  大和鍛冶の隆盛となりましたと同じ頃から相州鎌倉鍛冶がそろそろ起こりまして、山城伝の上品な作風から、変化致しまして図8の如く豪壮な姿や華やかな刃紋を焼こうとする傾向を見せて参りました。
図8 山城伝より相州伝に移るとき

 
 第三期の南北朝時代は、正宗を頭目と致しました相州伝鍛冶の隆盛期であります。
 図9の如く見るからに斬れ味の良さそうな、そうして刃紋なども華やかに焼かれたものであります。
図9 相州伝 この時代は、寸法がとても長いのでありまして、三尺五六寸から四尺または四尺以上もありました。
 反りは余り高くありません。身幅も広く、そして元身幅も先の身幅も同じ様で、中切先または大切先で、平肉も薄いのであります。短刀は元の方がやや狭く上部に行くに従って広くなり、その上中程から物打ち(中程と先との中間頃)へ掛けまして広くなります。刃紋は沸本位のしかも荒い沸で、馬の歯乱沸崩や大乱大湾の沸崩れ、皆焼などが交じりまして、非常に華やかであります。帽子の返りも深く大板目肌に鍛えます。
 一期から三期の南北朝時代までは、太刀として腰に下げたものであります。

 

 第四期の足利時代は誠に平和な時代でありますから、一期時代のような優しい姿のものが造られました。しかしこの時代から、刀として差しましたために、寸法もようやく二尺三四寸に短くなりました。なお脇指はこの時代から造りだされたものである事に注意をしなければなりません。
 各伝で同じ様なものを造っておりますが、備前鍛冶の作品が最も多いのであります。図10の如きものであります。
図10 第四期備前伝 

 第五期の戦国時代は、折れず曲がらず良く斬れる実用時代であります。そのために前期の美術的方面の技術はなくなってしまいました。
 美濃伝の全盛時代であります。図11の如きもので大体姿は南北朝期のものに似ておりますが、戦法上反りが少なくなり、寸法も短いのであります。
図11 美濃伝 美濃伝の特徴としましては、焼刃の頭が尖っていることであります。ここには三本杉として有名な兼元の図を載せましたが、この他、矢筈乱、箱乱などみな焼刃の頭がいかついものばかりであります。大湾れなどもあります。全て匂本位に焼いております。肌は杢目肌でありますけれども、鎬地が柾目肌になっております。
 備前伝におきましても、実用刀を造っております。長船の祐定など同名が沢山におったのです。
 図12の如きものを造ります。
図12 備前伝 この時代を古刀の終わりと致します。
 

 第六期の豊臣時代から、徳川時代が新刀期であります。
 姿は、戦国期のものと同じ様でありますが、地鉄が綺麗で全国一般に共通点があります。
 図13の如く、焼刃に特徴が甚だしく現れております。
図13 新刀特徴 すなわち、図の如く大乱を焼きましても、元の方の焼刃、これを焼出しといいますが、図の如く直刃に焼いて、そして帽子も直刃に焼くのであります。
 徳川中期以降は、焼の入れ方などに、絵画的の菊水刃、簾刃、吉野、龍田、富士見西行などを焼きました。
 

 第七期の幕末時代は新々刀期であります。この時代のものは、各伝の古刀または新刀期の作風を模倣したものが多いのであります。
 明治維新直前には、図14の如き反りのない寸法の長いものが流行致しました。
 明治初年は誠に刀工も少なくなりましたが、近来は全国に中々沢山の鍛冶がおりますが、往年の六箇伝中において、それぞれ最も得意とする伝法のものを造っております。
図14 幕末刀

(NHK「ラヂオ・テキスト 刀剣講座」より)

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