明治二年作(1869)、横山祐光による鵜の首造の短刀です。身幅重ねともに確りとして、総体に出来口整うなど、短刀ながら堂々たる風格を備えた一口であります。
短刀 奉命祐光造(水戸) 明治二年八月日 保存刀剣鑑定書
Tanto [Sukemitsu (Mito)][N.B.T.H.K] Hozon Token
刃長 Blade length (Cutting edge) : | 26.6cm(八寸七分半) |
|---|---|
反り Curve(SORI) : | 0.4cm |
元幅 Width at the hamachi(Moto-Haba) : | 2.81cm |
元鎬重 Thickness at the Moto-Kasane : | 0.85cm |
先幅 Wide at the Kissaki(Saki-Haba) : | 2.35cm |
先鎬重 Thickness at the Saki-Kasane : | 0.60cm |
茎 Sword tang(Nakago) : | 生ぶ、切鑢目、目釘孔1個。 |
登録 Registration card : | 茨城県 |
幕末期、諸藩で尊王攘夷の機運が高まるなか、水戸藩では、九代藩主・徳川斉昭公(烈公)が藩政改革を推進しました。安政年間(1855~1860)には、斉昭公の命により、水戸城西白旗山に武器製造所が設けられ、刀剣をはじめ、銃砲や甲冑などの武器・武具が盛んに製作されました。刀剣製作においては、藩工である直江助政、関内徳宗を中心に、横山祐光、関善定近則らが鍛刀に従事しました。また斉昭公自身も刀剣製作に深い関心を寄せられました。自ら槌を執って鍛刀を試み、市毛徳鄰、直江助政、直江助共らが御相手鍛冶を務め、独自の「八雲鍛」という鍛錬法を創始するほどに至ります。水戸祐光は、文政三年(1820)に江戸青山に生まれ、通称を喜十郎とします。備前国長船・横山一門に学び、名を祐光と改めました。鍛冶修行のため諸国を遊歴し、常陸国を訪れた際には、勝村徳勝の鍛刀を助けたと伝えられ、それを契機として、同藩主・斉昭公に認められて、水戸藩抱工となったと云われています。
本刀は刃長が八寸七分半、鵜の首造の短刀です。地鉄はよく練られた板目肌が詰み、地沸が付きます。刃文は互の目乱れ、処々尖りごころとなって乱れます。刃縁に小沸よくつき、明るく冴えます。帽子はそのまま乱れて先小丸に返ります。茎は生ぶ、切鑢目で刀工銘と年紀が刻されます。明治二年作(1869)、横山祐光による鵜の首造の短刀です。身幅重ねともに確りとして、総体に出来口整うなど、短刀ながら堂々たる風格を備えた一口であります。白鞘、赤銅着一重はばき、保存刀剣鑑定書。
