元帥刀や三笠刀などを手掛けて著名な、昭和初期の名工・堀井俊秀。本作は紀元二千六百年(1940)に鍛刀された同工の御刀です。
太刀 俊秀作 紀元二千六百年三月吉日 特別保存刀剣鑑定書
Tachi [Toshihide][N.B.T.H.K] Tokubetsu Hozon Token
刃長 Blade length (Cutting edge) : | 66.6cm(二尺二寸〇分) |
|---|---|
反り Curve(SORI) : | 1.6cm |
元幅 Width at the hamachi(Moto-Haba) : | 3.14cm |
元鎬重 Thickness at the Moto-Kasane : | 0.76cm |
先幅 Wide at the Kissaki(Saki-Haba) : | 2.45cm |
先鎬重 Thickness at the Saki-Kasane : | 0.50cm |
茎 Sword tang(Nakago) : | 生ぶ、化粧鑢目、目釘孔1個。 |
登録 Registration card : | 東京都 昭和26年 |
堀井俊秀は、明治十九年(1886)、滋賀県下坂元で徳田広吉の三男として生まれ、幼名を兼吉といい、堀井家の遠縁にあたります。明治三十四年(1901)、堀井胤吉の弟子で農具鍛冶の松田胤勝に入門します。明治三十七年(1904)には、高輪の三宮男爵邸内の堀井胤明門人となり、「兼明」と改名します。翌明治三十八年(1905)には、三宮男爵が逝去され、同地の鍛刀所を引き払い、胤明と親交のあった桜井正次を頼って、師と共に鎌倉瑞泉寺鍛刀所に移りました。堀井家初代当主 胤吉は、月山貞吉、大慶直胤の両名の弟子であって、どちらも水心子正秀の弟子でした。その流れを汲む胤明の弟子である同工は、大正二年(1913)に水心子正秀の「秀」の字をもらって、「秀明」と銘を改めています。大正七年(1918)には、宮内省の日本刀技術保存、刀匠保護への呼びかけに応じる形で、堀井家当主胤明と同工が招聘され、日本製鋼(現 株式会社日本製鋼所)室蘭工業所に入社、瑞泉鍛刀所が開設されます。昭和三年(1928)、同工は、日露戦争で帝國連合艦隊の旗艦であった戦艦「三笠」の砲身の残り鉄を用い、所謂「三笠刀」の製作を始めます。昭和八年(1933)、皇太子(明仁親王)殿下が御生誕され、翌昭和九年(1934)、同工は、刀銘に「明」の字を下に使っていることを不敬に感じ、「俊秀」と改名しています。昭和十七年(1942)、人間国宝 高橋貞次のほか同工は、満州国建国十周年記念の謝恩刀を製作しており、翌昭和十八年(1943)に没しています。
同工の作風は、水心子流の備前伝、丁字乱れや互の目乱れが多くあります。日本刀の伝統の復興に貢献した事で知られる栗原彦三郎による聖代刀匠位列表では、「神品の列 最上大業 取締役格」に列する十二名の筆頭に挙げられ、昭和初期の代表工であり、元帥刀作刀を下命された4名の内の一人でもあります。
本作の鍛えは、よく練れた板目肌に地沸に付き、刃文は直刃で、刃中に足、互の目足入り、匂勝ちで、匂口柔らかに明るく冴えます。帽子はそのまま直ぐで、先小丸に返ります。茎は生ぶ、丁寧な化粧鑢が掛かり、刀工銘と年紀を切ります。元帥刀や三笠刀などを手掛けて著名な、昭和初期の名工・堀井俊秀。本作は紀元二千六百年(1940)に鍛刀された同工の御刀です。白鞘、金着一重はばき、特別保存刀剣鑑定書(証書到着待ち)。
※写真の通りで、ヒケや小錆がございますが、鑑賞に大きく差し障るものではございません。
